vol.31 羅生門・鼻

  • 著者:芥川龍之介
  • 文庫: 301ページ
  • 出版社: 新潮社; 改版 (2005/10)
  • 言語: 日本語

この記事の先生

小池 祐子 先生

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 皆さんは小説を読んだ時、「桃太郎」のように勧善懲悪がはっきりしていたり、結末がハッピーエンド、または悲しい最後といった分かりやすい物語が好きですか?

 

 それとも、何だか結論がはっきりしない、もやもやとした終わり方の物語を読んだほうが、自分の気持ちにぴったりきますか?

 

 これは私の大学時代の恩師が、当時よく講義の中で学生に尋ねていたことです。その恩師曰く、おとぎ話のような勧善懲悪や結末がはっきりしている物語が好きな人は精神年齢が低く、なんだか結末がはっきりしない物語のほうが腑に落ちるという人は大人になった証なんだそうです。

 

 今回紹介する短編集をきちんと読んだのは大学の国文学の講義で扱う際でした。しかし「鼻」は小学生の時に、「羅生門」は高校1年の教科書で読んだことがありました。「鼻」も「羅生門」も初めて読んだ時は、筆者が何を言いたいのかよくわからずつまらないと思っていました。

 

 ですが、講義でその内容を深く掘り下げていくと、いろんな側面が見えてきました。「鼻」では、コンプレックスと思っていたものが実は自分のアイデンティティであった。「羅生門」では、その「門」は「現実」と「異界」をつなぐ場所であり、そこでは善悪の観念が混沌としてしまうといった解釈です。

 

 人生には光と陰があるが、必ずしもそれはきれいに分かれているわけではない。人の感情も複雑で、割り切ったものではない。そういった人生や人間の不条理さがこの短編集には散りばめられています。

 

 またこの短編集の作品それぞれには芥川がよりどころにした典拠があります。その典拠は古典から取ったものが多く、例えば「羅生門」は『今昔物語集』の「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を基に、「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を一部に交える形で書かれたもので、「鼻」は『今昔物語集』の「池尾禅珍内供鼻語」と『宇治拾遺物語』の「鼻長き僧の事」を題材としています。典拠と芥川の作品を読み比べると内容や設定に違いがあったりします。

 

 なぜ芥川はその部分を変えたのか?どういう意図があって、それで何を伝えようとしたのか?このような謎解きをするのは大変面白く、文学作品の読み方の新しい発見でした。(ただ、この世にもういない芥川にその答えを聞くことはもちろんできないため、結論を出すことはできないのですが・・・)

 

 芥川の小説は私に「大人になるとは」「人生とは」を教えてくれたと同時に、文学作品の読み方も教えてくれました。もし、この小説に興味を持ち、読んでみたら面白かったという方はぜひ典拠と比較してみてください。

 

 作品の世界がもっと広がると思います。読んでみたけどつまらなかったと思った方は、また数年後に読み返してみてください。もしかしたら以前の自分では気付かなかったことに気付けるかもしれません。