ひとりひとりの生徒と向き合う個別指導の実績がある受験舎の先生たちが、子供たちのモチベーションをアップ させるノウハウや、やる気にさせる言葉を親御さんたちへレクチャーします。

其の36 ぶっちゃけ寺

この記事の先生

鈴木 克美 先生

» 講師紹介はこちら

私には最近はまっているテレビ番組があります。

それは「ぶっちゃけ寺」です。

 

ご存知の方も多いかと思いますが、テレビに現役のお坊さんたちが出演しお坊さんにまつわるいろいろなことをお話したり、有名なお寺を巡りながらそのお寺について詳しく説明したりする番組です。

 

私自身、特定の宗教を信仰してはいないのですが、もともと霊感とかパワースポットなどにとても興味があり、また自分でも今まで言葉では説明できないような不思議な体験を何度となくしてきたため、毎週録画して欠かさず観るようにしています。

 

そんな中、先日の放送であるお坊さんが「現在日常的に使われている言葉の中には仏教から由来しているものが数多くある」と言われていました。

 

そこで実際に仏教から由来した日常語がどれくらいあるのか調べてみました。その結果私の予想をはるかに超える数の言葉がそうだったことを知り私自身びっくりしたと同時に、意外な言葉も数多く含まれていましたので、そのいくつかをご紹介したいと思います。

 

“挨拶”

挨拶の「挨」は「軽く触れる」、「拶」は「強く触れる」という意味を持っています。では、挨拶という言葉の由来はというと、もとは禅寺で行われていた「問答」なのだそうです。

 

禅宗ではあらゆる場面で師が弟子に対して

「・・・とは何ぞや」

と、いう感じで軽く問いかけをすると、弟子がそれに対して

「・・・とは※※※なり」

と、強く答えるのだそうです。

 

つまりこの軽い問いかけに対して強く答える「問答」が由来して挨拶となったわけです。

 

“我慢”

現在私たちはこの「我慢」という言葉を「耐え忍ぶこと。こらえて許すこと。」などと使います。

 

しかし、この「我慢」という言葉も本来は仏教の言葉であって、しかも意味が今とはまるで正反対、つまり悪い意味の言葉だったのだそうです。

 

「仏教語大辞典」によると「我慢」とはいわゆる「慢心」のことなのだそうです。

 

もともと「慢」という言葉は、インドの「マーナ」という言葉の音を写したもので、その「マーナ」の意味は「他人に対して奢り高ぶる心」つまり「慢心」なのだそうです。

 

それがいつの間にか、「我慢」の中の「我を通す」などの意味が「苦しいときも我を通して耐え忍ぶ姿」になり、そしてそういうことがいつしか美徳といわれるようになったから、良い意味を持った言葉として使われるようになったのでしょう。

 

“上品・下品”

実は上品(じょうひん)下品(げひん)は仏教では(じょうぼん)(げぼん)と読むのだそうです。試しに「じょうぼん」で漢字変換してみてください。「上品」となりますから。

 

ではこの言葉が仏教のどこから由来したのかというと、仏教では極楽へ生まれ変われるものが九つに分類されているのだそうです。その一番良いのが「上品上生」一番下が「下品下生」なのだそうです。

 

ちなみに、この九つのランクにそれぞれ阿弥陀様がいらっしゃって、その阿弥陀様をお参りしたいという方は、京都の浄瑠璃寺か東京の浄真寺にご参拝されるといわゆる九品仏にお参りすることができるそうです。

 

“知識”

知識とは「知っていること」という意味で使われています。しかし、仏教ではちょっと意味が変わってきてしまうのだそうです。

 

仏教においての「知識」は「正しい方向へ導いてくれる師、もしくは友人のこと」なのだそうです。ちなみに「教授」も元は仏教語で仏教の先生を指すのだそうです。

 

これらの他にも

「愛」

「ありがとう」

「安心」

「いただきます。ご馳走様」

「一蓮托生」

「祇園」

「玄関」

「世間」

「大丈夫」

「道場」

など数え上げたらきりがないくらい多くの言葉が日常語として使われています。

 

もちろん言葉が仏教だけから由来しているわけではありませんが、こうやって言葉のルーツをいろいろと調べてみると意外な発見と共に、私たちが受け継いできた「文化」というものの奥深さに改めて気づかされました。

 

もし時間があったら「そうだ京都に行こう」というコマーシャルではありませんが、日本中の神社仏閣巡りなんてやってみたい気分になりました。